NHKEテレ「団塊スタイル」第一幕  第二幕
プロフィールインデックス
1945年生まれ
金森赤レンガ倉庫
2015年70歳の近況
20歳以上の年の差のかみさんに思うこと
2010年1月27日
私は終戦記念日よりその以前に生まれており「俗に言う戦中派」である。しかしかみさんは、「こんにちわ、こんにちわ、世界の国から・・・」の音頭で始まる万国博開催の年より一寸後に生まれており、20数歳離れた年下である。

20歳以上の年の差は世間で思うほど快適では決して無い。それは当然であろう。育った環境も時代もその背景が大きく異なり、物事の考えはもとより発想の基準に大きく「差」があるには仕方無い事であろう。

かみさんはお嬢さん大学で私生活も厳しく、その後はすぐ「公務員」と言う職場に就き、殆んど「純粋培養器内」のみで過ごしたに等しく、殆んど世間の風に犯されること無く現在に至る、また「消費は美徳」と言う社会環境真っ只中で取得した経済観念、しかし、私はどうであろう。

戦後のどさくさで物心ついたころには何でも
もったいない!と物は粗末にしてはならない大事にそして大切に!と常に言われながら育ち、それらは遺伝子の如く、備わって経済性は身に付いてしまった。

また男女間の考えでは、女性は男性の名前を呼ぶ時「さんつけ」する事が当然で、しかし男が女性を呼ぶ時「呼び捨て」、女性は夫の後ろを「三歩下がって影踏まず」と言う、男尊女卑主流の社会背景でもあった時代でありそれを見て成長した。
これが良かった悪かったは別問題であるが、生きて来た経緯は大方、このような背景であった。

こんな生活感も経済観もそして大きくタイムラグのある二人が一緒に生活する事は、常に大人として私自身がかみさんに接して行かねばならない宿命?を背負っていると思っているのだが、つい私自身に染み付いてしまった生活感を露呈してしまう場面が度々ある。このような時は「大喧嘩」である。

自分でも大人気なく「ムキ」になり問題をこじらせてしまう事があるが、自分の娘と思えばそれほど、ムキにならず聞き過ごしてしまうだろう。これが女房となるとチョット訳が違うなどと、訳の分からない私の思考で、エスカレートしたりする。情けない自分に呆れ果てる事があるが、こんな事を思いながらかみさんとの生活は4年目に突入である。
思えば20数年前に知り合い、一緒に生活するまで相当の道のりを経てゴールにたどり着いたが、よくも途中、どちらかが脱落せずここまで来たかと・・・・

これも一途な考えのかみさんと私自身の楽天思想がもたらす悲劇と思わざるを得ないと、そしてかみさんに「申し訳なさ」の自責の念で一杯である。

前妻は3歳差で、今のかみさんは20数歳の年の差、どうしても3歳差のが生活感的には符合する事が多い事は確かであるが、それだけで物事は済まされないのが夫婦間である。

全て前妻の条件を受け入れ、お互いが納得の上での協議離婚&熟年離婚であったがこれも私の宿命と、気持を切り替え新しい船出となったのである。
〜2010年3月15日
このタイムラグもネガテイブに捉えては何時まで経っても、進化せず、私本来の「前向き人生」の意に反し、楽しく愉快におくる日々を過ごせない。

思えば20数年前に仕事の関係で知り合い、一切「男女の関係」を排除し、理性を絵に書いたような付き合いであった。何分、世間を知らずとても私の餌食の対象となる女性ではなかった事が、逆に「一途」にさせてしまったのかも知れない。

勿論、私にはそれなりの事情があり、その部分が「抑制」へと働き、手も触れることもなく、結婚までその状態を維持し、私自身が心の中で「貞操感」を常に言い聞かせていた。

当然、彼女自身の育ちの良さは、とてもその気にさせない何かがあり、それで十分に満足するものであった。

彼女と出会う以前の私とは「別の人格」であり、私を良く知る人物は冗談半分本気半分で、言う事が「ウソだろう」と・・・・

しかし、それは真実で、私自身が「信じられない!」と思ったのである。

人は動物と異なり、理により行動と、常に理が働きその理は自分が納得することであれば、全ての事がかなう、と信じていた事も自分の行いを導いた要因である。

20歳以上の年下女性に手をつける!と言う行動は、私にとって「犯罪行為」と同類と思い、またいずれは私以上に全ての点でハイクラスの方と結婚をして欲しいと願っていた事も事実である。

現実にどれほど将来有望な縁談話があったか計り知れないほどの量であり、女性が一番美しい「番茶も出花」の時期には積極的に、その縁談を勧めたが、ことごとく断ってしまった。

考えて見るとお気の毒な同情する面もあった。これは結婚後、聞いた事であるが、首都圏都市の地方公務員となり、門限が7時30分、厳しい親の監視が入り異性との接する機会も奪われ、何重もの箱に入った、箱入り娘の権化であった。

時には親が市役所の門前で帰宅を待っていた事もあったとか、それを聞いて「今どきでもそんな事があるんだ!」と驚いた次第である。

それはそれとして
親御さんの心情を思うと、何としても私に対する「心」を排除させねばならないと、柔軟合わせてのその行動をとったがガンとして、受け付けず、彼女自身の私に対する思いは更に過激と思えるほど変化して行くのである。

これには閉口したが、しかし、私自身がより過激なる犯罪的行為で排除する訳にも行かず、もはやお手上げ、諦めの境地であった。

この私の問題で多種多様のあらゆる関係者と話し合い、一番の軟着陸点を見出して、その各関係者が一番、深手を負う事無く問題解決が出来るよう話をすすめて糸口を掴み、やっと結婚に結び付けたのである。

かみさんの近〜い親族には、芸能界で音楽活動しているメジャーな人気アーティストが存在する事も「迷惑を掛けてはならない」と言う力学が働いた背景があり、お互いに傷がつかず穏便に!と事を済まそうとした現実がありました。

しかし、それにしても余りにも時間が掛かり、かみさんの青春は全て私一人に支配されていた!ことに「本当にすまないことをした」と、責念で一杯である。悲しいかな、この件ではかみさんに頭が上がらない。

61歳で離婚、63歳で結婚!2010年09月20日
37年間連れ添った前妻と離婚、そして大きく世代の異なる女性と結婚。同時に行ったようなものですが、結果から両方の責任を取って、共に納得のいく形態で現在に至ったのです。

この様相を見て、多くの友人、知人は「そんなパワー、どこにあるんだよ、すこし俺にもお裾分けしてくれよ」と、本気とも冗談ともつかぬ言葉を聞きますが確かに両方を成し遂げるには大変なエネルギーを要し、リスクも伴います。

片方には「生活に途方に暮れることの無いような処置」を施す。片や、そんな事の緒を見せないよう気を配る心遣いを、と何分、アッチコッチと気にしにながらの対応でした。

離婚の条件は今の住宅を除いて、全ての財産を破棄し、前妻に渡す事を条件で「協議離婚」でした。本来なら「悠々自適の余裕ある生活」が約束されていましたが、無から出直す覚悟の決断、で新しい生活にシフトする事でした

それは何を意味するか、
ずっと一途に私を思い続けていた、娘の様な年代の女性を受け入れる事でした。
まだ結果が決まらない時に前妻は「そんなに思われているのなら相手の夢を適えて上げて」とそして私にはOOの条件を呑んでくれれば良いと言うものでした。

両方ともうまくしようとする事は無理であり、どちらかに決めねばお互いに「不幸」の2文字が目に見えており、苦渋の決断を迫られたのです。

片や新しく生活をしようとする相手は、私の場合、不倫と言う世俗的な言葉で片付けるほど単純なものでなく、それは「男女の関係は一切無し」と、その上での事であり、他人様はどう思うか!そんな邪推や低俗的推察は私の頭からは全て排除していたので、彼女の純粋さに責任を取ったと、決して言い過ぎではないものでした。

前妻に対しても特別に「不満」があった訳でなく、前妻は若い頃、某映画会社から女優にとスカウトが何度も来るほどの美貌の持ち主で、女優の道よりも私を選んだのです。若かりし頃は、一緒に歩いていると多くの方が振り返るほどの美形でした。

美しい人はこころが醜い!と世の中ではその様な事が言われますが、それは間違いと彼女を知って、美しいものはこころも美しい、と言う事を教えられたのです。

主婦として全てに於いて「完璧なほどの女性」でした。しかし、人は無いものねだりだと言ったりしますが、もしかしたら私もそうであったのかなぁ〜と、今更ながら思うことがしばしばですが、それはどうでも良いこと、何分「責任」と言う言葉が重くのしかかり、それを果たすにはどうすれば良いかだけを考えての結果でした。

あちらを取ればこちらは立たず、で「前妻の条件」を全て呑んでの決断でしたが、多分、前妻も相当悩んでの決断であっただろうと思うのです。

条件の一つ、住まいの新築が完成!と同時に離婚し、息子も母と一緒に生活すると言う事で前妻と別れ、そして2年後、純粋さに責任を取り、新らしい「妻」と新生活に入ったのでした。
又、離婚の妻と同居の息子もその後、国家資格を習得し40歳で異例の某県病院局職員と言う公務員、将来も生活の安定性は担保され、今安堵している。

この一連の人生の中の大きな転機は、私にはより活力が生まれ、人はそんなエネルギー何処にあるの?と不思議にそして、とても真似は出来ないと言いますが、それは当然でしょう。

熟年夫婦の多くは「愛情も、生活も単に損得」でくっついていると、私のような行動は「馬鹿げている」と、思うのが一般的です。
レストランやカフェで一言も話の無い夫婦を見て「愛情無し」と思うのが私の基準です。また夫婦単位で行動を共にしない夫婦も同様です。

多くはお互いの行動を尊重する、等とは言うが、現実はお互いに「ヘキヘキで嫌」なのであるが、離婚するとお互いに「損」が見えて、その行動に踏み込みたいがそんな勇気も度胸も無い、意気地なし、と見るのが自然なのです。

良い例が「年金は2人で分割」と言う制度改正された時、多くのメデイアは熟年離婚が増えると報道したが、しかし、現実はその様な結果にならず、一気に「熟年離婚」の流れはしぼんでしまうのです。

女性の多くはがっかりし、せっかくの希望の道が閉ざされたと思った事でしょう。

社会から退いた男性の多くは疲れ果て、しかし、主婦として鋭気を養った世の奥様は、養っていたパワーを一気に爆発させ、離婚も出来ず、だからと言ってそのご主人に「若かりし頃に注いだ愛情」など、何処吹く風です。

ただただ自分のパワーを撒き散らして、夫婦はそれそれの行動を尊重!などと訳の分からない論理を振りかざし、旦那はさておき、そんな女性が今、社会を闊歩しているのです。

悲しいかな、離婚したくても出来ず、だからといって愛情などと言うたわごとは遠い昔に捨て去り、ただ利害で結ばれているのが熟年夫婦と言っても決して言い過ぎでは無いと思うのです。
何でレストランやカフェなどと言う公の場所に於いて「無言」なの?愛があればどちらかが「話をする努力」をすると思うのですが・・・・・

何事も「背水の陣」で臨んできた今までの人生、覚悟と決断!さえ供えていれば「怖いものなし」と常々、開き直りと前進前進、また前進です。

絶対に後を振向かない!これが私の楽しく人生を歩んでゆくキーワードと心得ています。

妻は結婚する随分前に「私は公務員と言う職業、性分と符合せず」との理由で退職し、別れた妻と一緒に暮らす息子は公務員の世界に飛び込む。世の常は「皮肉」である。
2012年5月
2012年11月16日・仲良し夫婦の秘訣とは?
なかよしの秘訣!

本音でぶつけ合い、激しく意見を主張し合うこと!とかみさんは信じている。しかし、それは結構、シンドイです。後は何処に行くにもバイクツーリングを除いて、いつも2人で行動!
早いもので離婚して7年目,還暦8年生を迎えて

2006年、61歳で離婚し63歳で再婚、もう7年目である。月日の経過は早いのもで、その7年「アッ」と言うまで息つく暇も無かった、とは言い過ぎではない。

人生結婚2回説!を子供の頃から抱き、心の中で秘めていた。更には「人生120歳!120歳!60歳は人生の折り返し地点、セカンドスティージ、青春第2章の幕開け」を提唱し促して、自らも実践、これは予定通りの我が人生。

... 今、まさにその通過地点であるが、しかしその想いを遂行する為には当然の如く、リスクを伴う覚悟の上の事。

離別の家族には将来の補償、必然でそのリスク、すべては金で換算しての補償である。その補償、覚悟、がかなわぬ場合「人生結婚2回説」等とのたまうなかれ!である。
離別する家族への「不安払拭」して初めてその哲学が成り立つ。

私の場合、在宅勤務の出版社に籍を置き、並行して他3社以上の不定期ではあるが委託業務という三足のわらじ同然で請負い、それを61歳の離婚まで続けていた。

蓄えも億単位を構築出来たが、それは離別家族への補償に全額当て、無一文となる事を条件に私の願いを叶えて頂いた。

幼き頃、貧困の中で育った割には「お金への執着心」がまるで無く、今まで、働けばお金は付いてくる!とそれはその通りで、離婚するまで全ての財政は別れた妻に全て委ね、いくら蓄えがあるかは関心が無かった。

しかし、仕事は夜も寝ないで夢中になり家の事など、全て妻任せであり、蓄えの金もいくらあるか関心なく、金は最小限、あれば良いと言う考え、これは今でもその考え、ズッと変わらずである。

勿論、蓄えは妻の功績!で離婚の際、それを全て渡しても惜しい等というケチな発想は生まれず、ただ離婚時所有していたポルシェ、フェラーリと他の数台の車両、1台のバイク、ハーレー、そして住まいだけは「私に残して」の条件で、妻と息子の新築が完成して、別離し人生結婚2回説!の願いが叶った。

私に残った前記の財産、金に換算してもゴクゴク僅か、ただ出版社に籍を置いて時代、それ以前の給与所得者時代、全て「厚生年金」と、そして妻が掛けていた「個人年金」は、数十年という年数、合算すると贅沢三昧さえせず、慎まやかな生活さえ維持すれば、それなりに生活が足り得るに十分である。

妻と同居の息子も県の職員として採用され、生活も安定した地方公務員の立場、離別の家族は私が按ずる程の事はない。

再婚の妻との生活も当初、年代の相違で若干のズレが生じたが、今はお互いに理解し合い、情報管理会社でフルタイムで働く妻のサポートに徹し、一切の家事は私の役割として「専業主夫」に専念である。

その妻が従事する情報管理会社、トヨタ自動車グループ企業で、日本最大手、大半が金融機関のアナログによる「全ての情報管理」を請け負いそのデータ作成。

データ蓄積の段階でミスは許されず、ストレスが貯まるようで家では常にリラックス出来るように気配り、気遣いである。

幸いな事に楽天家を絵に書いたような性格の私、そのストレス、全て受け止め「どんと来い!」のスタンス。私は一晩寝ると、一切の嫌なことの過去は頭から消え失せ、ストレスそのものの実態がよく分からない。良き性格と自負している。

人は信条も行動も変えることが出来る!と常々の思考、離婚するまで家のこと等、全てを妻任せであった者が、「活き方変える」で180度の逆転転換生活実践。

料理、洗濯、掃除、買い物とそして家の財政、会計、全てを仕切る事になり、それも頭の体操、健康と言う主眼にシフト、新天地開拓として捉え、新鮮さを感じ新しい世界観と楽しんでいる。

以前の妻の「家事により荒れた手」を見て、今の妻にはそんな「汚れた荒れた手」にならない為の副産物も私の家事業で生まれている。

いつまでも白魚のような白い手の美しさを保持して欲しい!とそしてそれを維持するためには「専業主夫」は欠かせぬ手段と心得てもいる。

楽しいかな専業主夫!と、家の完璧な綺麗度、更に拍車がかかり、結婚2回説と人生120歳!120歳!の通過地点を如何に医療費のお世話にならず楽しみながら過ごすか、に力点を置いて人生謳歌である。

定年退職で「何をしてよいか分からない」とお悩みの方、まずはご自宅のトイレ掃除を!トイレには家の守り神が潜んでおり、何時も綺麗に気持ち良く!です。
ゲスの勘ぐり

再婚の年齢差夫婦、この私たちを見て「誤解」する方も存在します。

それは知性の欠落、貧弱、と言っても過言では無い「俗世界の権化」と呼ばれる輩、所詮はゲスの勘ぐり!と解釈しています。前記に綴った文面では離婚、結婚のプロセス公開。

かみさん、好きな人以外の異性との接触、生理的に許せず!受け付けず!

大学、公務員時代多くのお誘い全て断り、自分の操も「好きな人と結ばれて幸せが成就」を信じて疑わない。さすがの私も「ビックリ仰天」であった。
今時、こんな古風の女性の存在が・・・・ただただ驚きが先であり、己の生き方による要因も大きいが、箱入り娘、その箱は更に何重も重ねた重箱の奥深く忍ばせていたような身、それに輪をかけ家族のガード。

ごく最近であるが、なぜ異性との接点、遮断していたの?との問いにかみさん曰く

「意識もしない方と接しては相手に失礼、私がその気も無く接すれば、相手の方は誤解する。異性との遮断、家族のガードはむしろ有難かった。」と、語っていた。

今の時代、その気も無く気軽に接し、まるでコーヒーでも飲むように交わる「無貞操、無節操&簡単純潔消失時代」生娘など遠く及ばぬ過去の伝説、しかしその伝説、現代に息づいていた。

かみさんの意思の強さと己の人生哲学、損得よりも自分の信条を最優先、公務員と言う職域、生き方が、信条がと、そのギャップに嫌気をさし、未練もなくサラバ!と退職。
しかしその信条これが災い?し、似たもの同士「議論沸騰」は毎度の事、しかし、私の方から話をそらす!場面たびたび、私が超越領域に突入か??????
2015年4月で70歳、今のかみさんと結婚して8年目に入るがいま思う事は熟年の再婚など、多くがコブ付き果ては孫付きで熟年同士の世代、ジジィ、ババァと相場が決まっており、私も正真正銘の紛れ無いジジィだが20数歳年齢差、そして「箱入り娘」との結婚などは稀であり、この事に関してはかみさんに感謝とより以上の「体の健康管理」に勤めならねばならぬ痛切感、使命を再認識している。
病になったらお終いよ!こうならないような生活は必然、ポジティブ思考がそれをより助けると思っている。
2015年9月
健康日記一部抜粋
A4支血圧測定 @血管内部映像
高校生当時の体型が健全健康で理想とするものは・・・・・しかし当時は59kg、7kg太っていいる
 2015年9月15日現在(70歳現在)
身長178cm体重66kg体脂肪10内臓脂肪レベル6.8推定骨量3・1筋肉量57kg
この数値、食事、運動量によりリアルに変化しあくまでも平均値。時には体脂肪7や体重も63kg等と言うことも珍しい事ではない。
70歳の肉体
痩せすぎ!と形容される場合がありますが、マッチョな筋肉マンであるボディビルダーとは目的が異なる。加齢による筋力の衰え防止が目的のスクワットや筋力トレーニングで「健全健康なボディつくり」です。
ARUKIは健康源泉、1時間7kmスピ−ドウォーキングを毎朝継続し医療費のお世話にならない生活を30年間の経験値で編み出し、70歳は健康元年。これからが真の人生の熟成期へと・・・・・

私がWEB上に於いて毎日のように健康問題を取り上げ、FACEBOOK、他SNSで綴り、NHKディレクターの目に止まり出演のきっかけの一例ですが、この活動は人生120歳!の目標その一環で、人生120歳!120歳!60歳は人生の折り返し地点、食べ過ぎない!欲をかき過ぎない!モノグサしない!を提唱し実践する遂行のパスワード、鍵で私の人生哲学でもあり120歳活きる!為の通過地点、健全健康のプロセスに過ぎないのです。                                      今の一番の関心ごとは「健康問題」で共有できればぜひご覧を!

近年の12検査を受けた時の血管内部画像です。血管内部が綺麗に映し出され、それはエコーで生み出される画像です。
これが人生70年間、人生と共に歩み続け、そして心臓から「ドクドク」と音を立て、体の四方に送り出されるパイプ、また血液を循環させる管、その血管内部です。 検査には4箇所の画像が映し出されましたが、どれも写真同様の「綺麗な血管内部」でした。
血管内壁に付着物無し、でこぼこと「凹凸」の荒れた兆候も無く、至って健全健康の「血管内部」で、常日頃の「食べ過ぎない、欲をかき過ぎない、モノグサしない」の三ナイ主義の賜物の結果と思っています。
如何に医療費のお世話にならない生活を、そして少しでも107歳で散った昇地三郎さんの「先人」に、健全健康で後を追うことができるかは、これからの研ぎ澄まされたより良き食生活習慣、負担にならない毎日の継続運動を行うかに掛かっています。

 地位も名誉もそして有形無形の財産があったとしてもデタラメ食生活習慣で「医療費のお世話」になって、命縮めちゃお終いよ!と常々の思考です。

今までの血圧測定に大きな疑問符?を持っていました。
片腕での毎日の血圧測定、常に正常、しかし、そんな方が「脳梗塞、脳血栓で不自由な体に!」とは時々、耳にする話であるが、最近の正しい血圧測定は・・・・
両腕、両足の「4箇所」を同時測定、これが本来、体に不都合箇所を発見する血圧測定の方法である。

 個人的に血圧の「片腕測定」は疑問符?で、自分で測定する際、右腕から測定、少し間を置いて、左腕からも測定し左右の測定値を出していました。
肉体解剖学的に「体に張り巡らす血管回路」は左と右が同じはずない!と常々、考えており、片腕だけの測定では正確性に欠くと思ってのことで、 その両腕からの測定値、まず同じ数値になる事は無く、その差常に5%以内、ただこの差がどの位の数値で不都合だ!と言う根拠は知りませんでした。
自発的な人間ドッグを受け「体の変調、不都合箇所の発見」を目的に1泊、病院旅行?でしたが、その際、初めて「4箇所血圧測定」の体験をし、4支同時測定の血圧測定の正確さを知ったのです。


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箇所測定で不都合箇所を疑う数値は出ませんでしたが、左右の数値の違い、足でも腕でもその左右の差「12%以内」であれば疑念なし!
ただ市販の血圧測定器で腕を測定するように、足首に巻いて測定しても正確な数値は測定不能、足首は構造上血管が複雑に入り乱れ、単純に測定できず、これは「4箇測定検査機器」が備わっている病院でなければ計測不能という事も知り、自分で市販の測定器で4支測定は駄目という事です。
経験は私の師匠!経験して初めてその知識、仕組みを知る事となる。経験無くして物ごと、語るベからず!が私の信条、それを再認識です。


予防医学の進歩と言うか、体の検査機器の技術向上はめざましいものがあり、その進歩のおかげで「体内部の不都合箇所発見」がいち早く突き止められる時代です。血圧測定の「4箇所同時測定」と言い、「血管内部の画像」と言い、特別な知識がなくても己の目で確かめ、良いか否かが一瞬に判断出来る良き時代です。

自分の健康は自己責任、大きなお世話!とは大きな間違い、医療費はそんな間違いの輩がゴマンと存在し、健全健康な者たちが支えている背景、デタラメ食生活習慣がもたらす日本の医療費支出、40兆円超える!如何に医療費のお世話にならず人生、心豊かに歩むか、65歳以上の人口が2015年9月現在3384万人に達し、それぞれの高齢者が、老人が(世界保健機構、日本の老人福祉法では65歳以上を高齢者、老人と定義)考えねばならない現実、工夫した生き方が求められている。
健全健康を維持する為の小道具と2015年70歳の近況
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